出典
記事:”The third lord/third house” Journal of Astrology, January-March 2003, pp9-26.
著者:K.N.Rao
事例4 アウランゼーブ帝
インド史上の論争のひとつにアウランゼーブ帝の存在があります。
はたしてアウランゼーブ帝はその冷酷さにおいてヒトラーにたとえることができるのか どうかという論争です。
この論争はまだまだ続くだろうし、決着を見ることはないでしょう。
私たちにとって興味深いのは、 アウランゼーブ帝のホロスコープです。
ヒトラーのように3室を支配する木星が、
土星は、牡牛座から3室の支配星にアスペクトしています。
金星、ラーフ、 ケートゥを除くすべての天体とラグナが3室の影響下にあります。
父シャー・ジャハンの時世、
兄ダーラー・シコー、シャー・ シュジャー、弟のムラード・バフシュと、
シャージャ・ ハンの娘たち、
すなわちアウランゼーブの姉妹たちも、
それぞれ兄弟の どちらかに付きました。
帝位継承戦争は
アウランゼーブの火星期に始まりました。
火星は、11室から3室の支配星・木星に
アスペクトしています。
水星のアンタルダシャーが終わる前に、
ホロスコープの惑星は、
チムールのホロスコープと比較してください。
兄弟の宗教観の違いが、
皇位継承戦争の火に油の注ぎしました。
長男のダーラー・シコーは教養があり、寛容です。
まるでヒンドゥー教徒のようです。
次男のシャー・シュジャーはシーア派で、
三男アウランゼーブは
狂信的なスンニー派でした。
アウランゼーブは、
先代の歴代ムガル帝王に批判的でした。
四男ムラード・バフシュは、
リベラルを装いながら、その実
ハーレムの肉欲に溺れ、
精神バランスを失っていました。
アウランゼーブはまず二人の兄弟と組みました。
シャー・シュジャーとムラード・バフシュと組んで
ダーラー・ シコーの勢力を弱体化させ、
次に
父のシャージャ・ハンを投獄しました。
そして
自分の侍女を使ってムラード・バフシュを捕獲し、
シャー・ シュジャーは
アウランゼーブとの戦いから逃走して他国に逃れまし たが、
逃亡先の王に誅殺されました。
最後の敵は、
長男ダーラー・シコーでした。
ダーラー・シコーは、
捕獲されました。
ダーラー・シコーは1659年9月、
斬首されました。
インド中世史家LPシャルマによれば、
「したがってアウランゼーブの目的は、
ダールル・ハルブ(カフィール=異教徒の国)を
ダールル・イスラーム(イスラームの国)に変えることである。
ダールル・イスラーム(イスラームの国)に変えることである。
アウランゼーブはその使命を忘れることはなかったし、
歴史家LPシャルマによれば、
火星/土星期でした。
土星は、計略の8室に
在住しています。
火星も土星も
3室を支配する木星に
アスペクトしています。
火星のように振る舞うケートゥは、
10室に在住し、
火星は10室の支配星とコンジャンクトし、
アスペクトしています。
ムガル帝国の衰微は、
始まりました。
(つづく)
※著作物から要約・引用するにあたり、わたしはラオ先生との間で契約を交わしております。