「輪廻」と「カルマ」を釈尊は説かなかったという説がある。
そして「輪廻」を積極的に否定する仏教徒グループを「断見派」と呼ぶそうだ。
僧侶・学者の間で意見が分かれているくらいだから、
わたしたち凡人が容易に踏み込める領域ではない。
しかし、あくまでもわたし個人の経験のはなしだが…
占星術を誠実に実践していくと「輪廻」「カルマ」の存在に確信が芽生えるようになる。
どういうことか?
占星術を誠実に実践していると、だんだん鑑定が当たるようになる。
鑑定がある程度当たるようになると、「運命」の存在を疑えなくなってくる。
すくなくとも「運命」について真剣に考えるようになる。
「運命」とはなにか?
「運命」とは「必然」のことである。
物事には、「偶然」ばかりではなく「必然」で起こることもある。
そういう認識が深まっていく。
では、その「必然」はどこから来るのか?
ある出来事が、わたしに起こってあなたに起こらない「必然」とはなにか?
あるいは
あなたに起こってわたしに起こらない「必然」とはなにか?
これは
わたしがあなたではなく、わたしなのだ、という「必然」の認識である。
この「必然」を「個体差」という。
生まれた時点で、わたしたちは「個体差」という「必然」を背負っている。
わたしたちはこの「必然」という「個体差」をいつ背負ってしまったのか?
それを理解するためには、生まれる前のわたしの存在、すなわち「前世」を想定するほかない。
『Karma & Rebirth』のなかでKNラオが占星術の起源を論じるところがある。
インド占星術が、バビロニアで生じ、地中海を経由してインドに伝えられたという説に対する反論である。
そこでかれは、「生まれ変わり(輪廻)の思想のないところで占星術が生まれたはずがない」とさらっと書いている。
わたしは、このくだりを読んで、すっと腑に落ちた。
そして
鑑定である程度的中させた経験のある人は、おそらくわたしと同じように、
この箇所を読んで腹の奥で得心を得たに違いない…と思った。
この経験は、わたしにいくつかの内的変化をもたらしつつある。
それは以下の変化である。
①ウパーヤ(処方)に対する姿勢の変化。
②自己評価に対する姿勢の変化。
これらについては、いずれ日を改めて説明しよう。