今回のテーマはムフールタです。
インドの歴史的な合戦で占星術の知識が駆使されていたに違いない、というおはなしです。
ハーヌアーの戦い (खानवा का युद्ध) とは、
ラーナー・サンガー率いる「インド軍」を
トルコ系とモンゴル系の血を継ぐ、ムガル帝国創始者バーブルが破った戦いです。
サンガーの「インド軍」は歩兵をふくめて10万余りの大軍でした。
対するバーブルの兵力は2万から2万5千騎でした。
しかしバーブルは、ハーヌアーの戦いで圧勝しました。
それは、おそらくかれが採用したに違いないムフールタにも現れていました。
出典
著書:”Dips into Divinity, Astrology & History”
著者:K.N.Rao


バーブルのムフールタ
「カブールの占星術師は、この戦いはムガル帝国にとって不利な結果となると宣言した。これを聞いたバーブルの兵に厭戦気分が広まった。バーブルは断酒を誓って不退転の決意を示した。」(L.P.Sharma:”HIstory of Mediaeval India p276)
戦いは、1527年3月17日午前9時に始まりました。
この日時のホロスコープを描いてみると、バーブルはこのときを除いてベストのムフールタを選ぶことができなかったことがわかります。

※問いかけ:このホロスコープがなぜベストのムフールタなのか、考えてみましょう。(清水)
参考資料
「1527年、バーブルはラーナー・サーンガーという異教徒の強力な軍との戦いを前にして、暑さとホームシックで厭戦戦気分の将兵に奮起を促すため、自ら何よりも好きな酒を断つことを誓い、金銀のグラスを打ち砕いて貧者や聖者に与え、かつ酒だるをたたき割って不退転の決意を示し、ジハード(聖戦)を宣することによって戦いの大義を公にした。」『世界の歴史14 ムガル帝国から英領インドへ』中央公論社(1998)105頁
「両軍の正確な兵力はわからないが、おおよそのところバーブル軍は二万ないし二万五千騎、これに対してサーンガーの兵力は歩兵をふくむ10万余りの大軍であった。サーンガーの指揮する『インド軍』は、各地のラージプート王侯の部隊の連合軍とメワート(ラージャスターンの北東部アルワル周辺)のインド・ムスリムの豪族ハサン・ハーンの舞台およびマフムード・ハーンの率いるアフガン舞台からなる混成軍であった。バーブルの卓越した指揮と火砲の威力ならびに優秀な騎兵は、兵力の劣勢をカバーしたのみならず、直接の主君にしか忠誠を尽くさないラージプートの『封建的軍隊』を中核とする混成軍を圧倒した。」『世界の歴史14 ムガル帝国から英領インドへ』中央公論社(1998)106頁