マイページへ管理トップへfx-racco設定サービス一覧 ブログを書く プレビュー 他のエディタを使う操作ガイド あなたは運命派? それとも自由意志派? (3) デザイン幅で表示
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人生 は
運命 が70~80%、
自由意志 を行使した結果が20~30%、
でできている、
らしいと書きました。、
でも
ここでももう少し考えてみると
自由意志を行使しているつもりでも
実は、
それすらも 運命 ということはないのでしょうか?
つまり
意志を行使しようがしまいが
すべて運命である
という可能性です。
ここで思い出すのが
『ヴァガバッド・ギーター』※
です。
※『ラーマーヤナ』とともにインド二大叙事詩と称され、インド神話を構成する重要な文献の一つ。
『ヴァガバッド・ギーター』は
身も蓋もない要約をするなら
戦意を喪失するアルジュナに
クリシュナが聖なる知識を授けて
迷いを消させるストーリーです。
そのとき、
クリシュナは、アルジュナの前にブラフマンの化身として現れ
「この世界のはじまりであり、
おわりであり、全てであり、
頂点であるような存在」
と、宇宙の実相をアルジュナに見せた後
(つまり神であることをカミングアウトした後)
「敵軍にいるすべての戦士たちは存在しないであろう」
「彼らはまさに私によって、前もって殺されているのだ」
と言ってアルジュナを説得しました。
しかしこのとき、
クリシュナはアルジュナに
重大なことを隠していました。
クリシュナは
アルジュナの16歳の息子アビマニュが
戦場で非業の死を遂げることを
アルジュナに告げなかったのです。
そう
アルジュナにとって
もっとも大切な息子アビマニュの
壮絶な戦死の様子については
クリシュナは語らなかったのです。
もしクリシュナが
そのことをアルジュナに語っていたら
アルジュナは最後まで戦意を取り戻すことはなく
戦いを放棄していたかもしれません。
実際
アルジュナがアビマニュの死を
知ったとき
アルジュナは怒りに全身を振るわせ
戦意を高揚させました。
これは
このような場面においてでさえ
運命がすべて明かされることは
決してないのだという教訓でもあります。
しかし
それを強調しすぎると
わたしたちは運命論者になるしかありません。
そして
この問題をずっと辿っていくと
そもそも宇宙はなぜ創造されたのか
という不可知論的な大問題に
たどり着かざるを得ないでしょう。
だから
人生 は
運命 が70~80%、
自由意志 を行使した結果が20~30%、
でできている
と思っておくくらいがちょうどよい
ということにしておきましょう。