前回の続きです。
論考2:時間=意識?
過去とは、記憶のことである。
ここではたと思い当たることがあります。
前回の記事で書いたナメクジについてです。
ナメクジにとっての「過去」とはなんでしょうか?
結論から言えば、そんなはなしは「ねつ造」です。
だって
ナメクジに意識、そして記憶がなければ「過去」なんてナメクジにとって無意味だからです。
そしてナメクジに記憶があるという証拠はありません。
そこから
「過去」とは、記憶と密接に関係する概念ではないかと推測されます。
「昨日のことのように憶えている」という言葉があるように、昨日のことは一般に現在進行形の範疇でとらえられます。
しかし認知症の人にとって、昨日のことはもう記憶に残っていません。
そう
認知症の人にとって昨日はすでに「過去」の出来事、
すでに忘却の彼方にあるのです。
認知症が重篤な場合、数分前に起きたことも忘却の彼方、つまり「過去」になってしまいます。
では「未来」はどうなのか?
「未来」とは、現在を認識できてこそ想定できる概念です。
「現在」が限りなく薄くなっていく認知症の人にとって、「過去」同様に「未来」も『忘却』されていきます。
そう、「過去」も「未来」も「現在」も、記憶があって初めて存在し得るのです。
RECAP
すこしまとめておきましょう。
- 時間は高次元から見るなら空間と同値であり、その場合、過去も未来も現在に集約される。
- 時間は、記憶とも密接に関係し、記憶の源泉である意識のない存在にとって、時間は無意味である。
これまでの論考から、時間は最終的に意識に依存する、ということになってきました。
ついでなので、もうすこし妄想を膨らませましょう。
意識の次元が高くなれば、過去と未来は縮小し、現在が大きくなります。
現在とは認識できる空間のことで、
現在が大きくなるとは、認識できる空間が広がることで
その延長上に「空」の体験があるのかも知れません。
認識が無辺に広がるという体験です。
そのとき、過去も未来もなく、
すべてが同時(現在)にあるという体験です。
時空を越えるという体験です。
つまり、
意識が高くなれば、時間は空間に置き換えられ
空間は無辺に広がり、
すべてを見渡せる。
この境地を悟りというのかな?
てか?