当てることが処方(ウパーヤ)になることもある

占星術を学びはじめの頃は、鑑定をやってみてもなかなかあたらない

相談者が「あるあるーっ」とせっかく優しく答えてくれているのに、

鑑定している側が「本当かなぁ~」と心の中で相談者の言葉を疑っていたりする。

 

努力していればいつかは報われる。

そう信じながら、ネット情報や書籍を読みあさる。

聖杯探しをあてどなく続ける。

 

しかしいっこうに当たらない

 

そのうち、当たらないことにだんだん慣れてくる

当てなくたって、満足して帰ってもらうことの方が大切だ。

そう合理化して開き直り始める。

 

そして、たとえば、

心理学を学ぶ、

処方に凝る、

コーチングを受ける、

自己啓発系のセミナーをはしごする、

あるいは、

というか…ついに、

魂を売って金儲けに走る…

 

わたしの場合、

中国占術を学び始めた。

風水もそうとう学んだ。

そうとう出費もした。

 

だから、

インド占星術を教えながら、

わざわざ西洋占星術の知識を

インド占星術に持ち込む人たちの気持ちが

よくわかる。

 

しかし、

その是非を生徒に問われて

「インド占星術が不完全だから」

と答えるとしたら、けっこうイタイ

「自分の」という所有限定詞を「インド占星術」の前に

つけるのをわすれてはいけない。

 

まぁ、それはいいとして

 

当時、わたしと一緒にインド占星術を学んでいた人たちは、

わたしがどこへ行ってしまうんだろう?

そうとう気をもんでいたらしい。

 

そしてようやく気がついた

何に?

 

マイケル・ジョーダンの言葉を紹介しておこう。

 1 日 8 時間シュートの練習はできる。

でもやり方がまちがっていたら、

間違ったシュートがうまくなるだけだ。

『 成功する練習の法則 』ダグ・レモフ他 著

 

わたしは、インド行きを決意した。

6年間、KNラオのもとで学んだ。

そして

ようやく少しずつ、当たるようになってきた。

確率でいうと、外すことの方が多いのは確かだ。

 

しかし

胸の空くような場外ホームランを打つ回数も

少しずつだが増えてきた。

鑑定が当たるようになって初めてわかることがある。

 

それは

「当てること自体が処方(ウパーヤ)になる」

という事実である。
 
 

相談者は、なにか問題を抱えて鑑定に臨んできていることが少なくない。

・どこで狂ってしまったのだろう?

・なにかいけないことをしてしまったのだろうか?

・なにを直せばいいの?

こういう念(おも)いで、相談者の心中は張り裂けんばかりである。

 
とうぜん鑑定者は、それ(らしいこと)を指摘し、そして処方を与える。

相談者は満足して帰っていく。
 
 
ふつうならこういう流れになるんだろうけど…。

 

セッションの中で、過去のことをいくつかずばり当ててしまったりすると、

それだけで問題が解決してしまうことが往々にしてある。

「運命だったのね…」

相談者自身が、「運命」(因果律)の存在を実感した瞬間である。

それだけで、カタルシス(浄化)が起き、

問題だと思っていたことが、

問題でなかったことに気がつく。

 
「運命」、言葉にしてしまえば、それだけのことなんだけど。

それを字面で知っているのと、経験で知っているのとでは

天地がひっくり返るほどの違いがある。
  

 

だから

インドから帰国してから、望まれたときを除いて、

相談者に処方を勧めたことがない

興味が薄らいだし、幸いにしてその機会も必要もなかった。
 
 
・占術と処方は車の両輪だ

・宝石の処方は効くか?

そういう議論に接するたびに、

ちょっと違うんじゃないんかなぁ~

と思う。
 

処方に凝るよりも、

鑑定がより当たるように精進するのが本筋だし、

その方が、

処方以上に高い効果が得られることもある

ジョーティシュ・サンクチュアリー │ ヴリンダーヴァン
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